「核兵器禁止条約ってなに~研究と美術からのリレートーク~」を開催しました
10月15日、核兵器廃絶についての知識を深めるため、核兵器禁止条約の学習会を開催し、12名が参加しました。
講師に長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授の中村桂子さん、丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんを招き、核兵器禁止条約の役割や、絵画から読み解く被爆の歴史をお話しいただきました。
丸木美術館のバーチャルツアー・原爆の図
「原爆の図 丸木美術館」は、画家の丸木位里・俊夫妻が、共同制作「原爆の図」を誰でもいつでもここにさえ来れば見ることができるようにと、1967年に開館しました。今年で54年目ということで、現在建て替えに向けて基金の協力を募っているという美術館は、長い歳月が経ち老朽化がみられます。
「50年前は日本にほとんど美術館がない時代。誰の支援もなく、画家が自力で絵を飾って守る場所を建て、現在でも続いているということは、多くの方々がこの場所は必要だと思ってきた証だ」と丸木美術館学芸員の岡村さんは話します。
館内には丸木夫妻が描いた原爆の図を中心に、丸木位里さんの母である丸木スマさんの絵画なども展示されています
最初の絵が描かれたのは原爆投下から5年後のことで、丸木位里さんは当時疎開先の埼玉で原爆投下の知らせを聞き、親戚の安否確認のため広島へ入ったのが8月9日の夜で、そこで入市被爆者となってしまいました。
戦後は敗戦国のため、誰も原爆のことを語らない厳しい言論統制が続いていた頃、丸木夫妻は広島・長崎で傷ついた人々のことを、原爆を絵に描いて伝え残していかなければ、という思いを抱え、頭の上に原爆を落とされた人間がどうなったかを、人間やさまざまな生き物を描いて多くの人に伝えていきました。
長崎大学核兵器廃絶研究センターという軍縮・平和教育に関する研究、発信の場から
長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授の中村さんは、「核兵器禁止条約が発効されたから世界が一夜にして変わるわけではない。引き続き私たちは核兵器のある世界に住んでいる」という現状を話されました。
核兵器禁止条約は核兵器を禁止することに注目してしまいますが、核兵器の使用や実験で被害を受けた人々に国際社会が協力して援助すること、核で破壊され汚染された環境を修復することを初めて義務化した条約でもあります。
中村さんから核兵器廃絶に向けた市民や社会の動きが説明されました
「核保有国が入らない条約に何の意味があるのか」とよく投げかけられるという意見に、中村さんはデータをもとに核兵器と世界の動きを解説。
「この条約は核保有国や『核の傘』に依存している国に政策見直しを促し、核軍縮の促進に向けた追い風になります。核兵器が非人道兵器だと考える市民も増えており、米国の核兵器が配備されているNATO加盟国の世論調査で、自分の国は核兵器禁止条約に入るべきだという回答が70~80%出ています。さらに世界中の金融機関で核兵器製造企業への投融資を行わない動きが高まっていて、たとえば国内だと、りそなホールディングスや三菱UFJフィナンシャル・グループがそうした企業に投融資しない旨を発表しています」と説明しました。
核兵器の問題について考えるには、自分ごととして捉えられるかが重要です。
最後に、周囲と意見を交わすことや若い世代の方に伝えていくためにどうすればいいのかなど、おふたりに対談していただきました。
平和だけにとどまらず、人とのコミュニケーション・教育ともかかわる充実したお話で、組合員からも「新しい発見があり、聞くことができてよかった」と感想が寄せられました。
活動のむずかしさや平和について和やかに対談されました