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オンライン学習会「『ともに生きる』ためにできること」を開催しました

2月2日、オンライン学習会「『ともに生きる』ためにできること」を開催し、組合員・役職員あわせて約90名が参加しました。2020年7月、ヘイトスピーチなど差別的な言動を禁止するため、全国で初めて刑事罰を盛り込んだ川崎市の条例が発効しました。「差別」を禁止する対策として一歩踏み込んだ川崎市に注目が集まりましたが、差別や偏見を生じさせるものは何で、私たちはどう対処したらよいのでしょうか。講師に牧師である金迅野(きむ しんや・立教大学大学院特任准教授)さんを招き、漠然と感じる「生きづらさ」はどこからくるのかを考えました。

「聴く」ことがないがしろにされている

「今、私たちが直面している危機とは? といえば、もちろんコロナ禍ですが、東日本大震災、金融危機、異常気象、原発事故、そして、ヘイトの問題と格差の拡大、こうした危機の克服の課題となる根本の危機は、じつは、ずっと前から続いていたのではないか。まったく別の課題にみえて、じつは、私たちがいつの間にか、おきざりにしてきたものがあるのではないか」今回の学習会はそういうことに気づかされる機会となりました。

「危機に面したとき、あるいは危機を招かないためには、人々が繋がることが必要となるが、その根幹は『聴く』ということ。現代は『本当の声』があがりにくい状況となっているが、声があがりにくいのは、声をあげても、それを『聴く』力があまりにも少ないから」と金さんは語ります。

 

ふたつの人類に分断されている危機的な社会

講師の金迅野(きむ しんや)さん

講義のなかで、金さんは「ふたつの人類」に分類されることがあることを解説しました。
「人間には、アントロポス(anthropos)とフマニタス(humanitas)のふたつの類型があると指摘されています。アントロポスは『未開』の人間を研究する学問としての人類学の起源と結びついており、フマニタスはアントロポスを観察する人間を表象しています。アントロポスは、観察される側、教育される、指導される、支配される側。逆にフマニタスは観察する側。教育し、指導し、支配する側。これはエスニシティ〈民族性〉の問題、あるいは、過去にあったことではなく、現代日本社会のなかにも持ち込まれている分断のあり方です」。

「うちきてごはん食べようよ」

あるとき、川崎のヘイトスピーチを行っている男性に向かって、それまでひどい言葉を投げつけられていたあるお母さんが「そんなこと言わないでさ、うちきてごはん食べようよ」と言っているのを金さんは聞きました。自分を攻撃してくる人たちに向けて、こういう言葉を(怖さを必死におさえながら)かけていることに、深く心を揺さぶられたそうです。

「分断が起こるのは、実際に『出会って』いないから。お互いの『痛み』『声』が聴けていないから。わたしとは違うけど、痛みがわかる。自分たちとは違う痛みがこの世にあることを知る。『痛み』を感受するセンサーのようなものがONになっているとき、人は、他者の痛みに共感/共振することができるのだと思います」
「センサーが生きているときに人は『ともに生きる』ことができる。センサーが摩滅してしまうと、この文明は、他者の痛みに無関心になり、倒れたり、うずくまっているのはすべてその人の自己責任なんだという感覚に流れてしまう。誰かの叫びを聴けて、自分の叫びを発し、そうやってコミュニティになっていく。そういう活動が必要」と最後に金さんは語ってくれました。

 

今回の学習会を通じて、現状の偏見や差別、格差による分断の社会を変えていくのには「共感する力」と「聴くことを大切にする習慣」が必要であることを学びました。「ともに生きる」は生協の2030年ビジョンに掲げられている内容でもあります。今後も、生協の普段の活動において、「聴くこと」と「共感力」を大切に活動してまいります。

(文責:学習会事務局)